中華人民共和国
People's Republic of China

2003年9月に、私は湘潭大学外国語学院日本語学部に入学しました。専攻は日本語のため、大学4年間で、周りのクラスメートは何人か日本へ留学に行きました。
その時、どんなに羨ましかっただろう。家は貧しいから、日本に留学するお金の余裕が全然なくて、すごく悔しかったです。2007年、学校の推薦で、無試験で本学校の大学院に入りました。その翌年、日本の滋賀大学へ2名の交換留学生を送る計画があると聞き、私がとても運がよく、選ばれました。

外国語を習得する大学生として、本場の国へ留学できて、自分の目でその国の文化を検証し、自分の耳で本場の言葉を聞くことはどんなに幸せだろう。初めて日本の土地を踏んだわくわく興奮している気持ちは、いまだに深く記憶に留まっています。飛行機は海の上に建てられた関西国際空港に着陸し、きれいな青空は紺碧の海と一体になって、空から見ると、より美しく見えました。

一年の留学生活はもうすぐ終わります。この一年間は長いようで、短いようである一年です。家族、親友と離れている一年は長く感じましたが、毎日バイトと勉強で忙しくて充実した日々を送り、時間の流れを早く感じています。振り返ってみると、日々感じることや考えたことは数えきれません。この留学初期の新鮮な気持ちを「形」にして残したいと思います。

勉強

初めて滋賀大学キャンパスを踏んだとき、目に見えたのはみすぼらしくて、学校名もはっきりしない校門でした。もっと中へ進むと、何軒かの低い校舎が山の上に建てられて、耳にしたのは縁起の悪い鴉の声ばっかりでした。その時の気持ちは谷の底に落ちたように落ち込んでいました。夢のような留学先はこんなところだと思いませんでした。
滋賀大学のイメージが変わったのは授業を受けてからで、先生との付き合いの中で、だんだん滋賀大に好きになりました。院生の授業はほとんどゼミの形式で、何人かの人数の少ない授業です。みんなは順番で自分のレポートを発表し、先生と他の人に批評してもらったり、質問されたりします。最初、自分が書いたレポートはめちゃくちゃで、自分の意見と考えがなくて、ほとんどは先行研究を引用しました。先生に「王さんのオリジナルな考えはとこですか」と問われた時、いつも答えられなくなります。先生に「観点が正しいかどうかはともかく、少しでも自分の意見があればこそ研究の始りで、研究としては、自分の発想と考えはとても大事だ」と教わりました。先生の指導のもとで、学問の厳しさに磨かれ、勉強することはただ単なる知識の獲得、また学位の獲得だけではなく、真理を追究することであると分かるようになりました。

仕事

日本社会に触れ始めたのはバイトからといっても過言ではありません。同僚たちから、日本人の仕事に対しての真面目さと熱心さを習いました。この一年間のバイト経験の磨きで、自分がずいぶん大きく成長したと思います。
居酒屋のアルバイトをした時、新人研修で接客用語、料理の出し方、オーダーの取り方、おじぎなどの礼儀を教わりました。しかし、具体的にどのように接客するか、お客さまにとって気持ちの良い応対になるまで、料理の名前とお酒の調理方法を覚えられるまでは、私のような外国人にとって、研修だけでは不十分だと思います。そこで、外食したときは、店員さんのサービスと接客用語を意識しながら、ご飯を食べるようにしました。さまざまな店員さんを見て感じたことは、笑顔と明るい声があるのとないのとでは、店員さんの印象の残り方が違うということでした。お客さまに接するときは、研修で教わったことはもちろん、明るい声で話すこと、どのお客さまに対しても笑顔でいることを忘れないように心がけました。結果、「頑張ってね」と応援されたり、「楽しそうに働くね」、「感じが良い」、「笑顔が素敵ね」と言われたりと、さまざまなお客さまが名前と顔を覚えてくださるようになりました。また、美味しい料理をお客さんの前に出す時、お客さまに「ありがとう」「オーキ二」と言われると、すごくうれしいと感じました。
中国に帰ったら、この心がけも忘れずに、社会に尽くす人間になりたいと思います。

生活

日本に来て一番感じたのは、日本の物価の高さで、大体中国の6、7倍ぐらい高いです。はじめの頃買い物の時は、いつも日本円を人民元に換算する習慣がありました。こうすると、なんでも高くなります。お金を使うのが惜しいです。特に、食べ物がもっとも高いです。普通のラーメン、中国では日本円60円ぐらいで食べられますが、日本では800円ぐらいが要ります。
日本人のマナーのすばらしさ、清潔さに感心しました。きれいな青空にびっくりし、ごみがひとつも落ちていないことに気づきました。日本人は、朝夕の犬の散歩で必ず犬の糞を持ち帰ることにもすごく感心します。
町の人は環境を守り、お祭りを皆で楽しみ、文化遺産を受け継ぐこともわれわれ中国人にとって、習うべきところだと思います。

終わりに

日本といういわゆる外国に来てから、もっと自分の国を愛するようになりました。母国への関心はより強くなりました。母国を冷静に客観的に見る事もできるようになった。日本への偏見も変わりました。今回の留学を通じて、中日関係の架け橋として、もっと中日友好のために貢献したいと思います。

 

 

2003年我考进了湘潭大学的外国语学院日语系,大学四年期间,周围很多同学朋友去了日本留学,当时的我非常羡慕,也曾因为家里穷去不了日本而埋怨过。2007年我被保送攻读本校的研究生,而且很幸运的被推荐作为交换留学生去日本留学。
作为一名学外语的大学生,能去该国留学,亲眼目睹该国文化和亲闻该国语言无疑是一件幸事。初次踏上日本土地的那份激动心情,至今仍记忆犹深。飞机降落在建在海上的关西国际机场,蔚蓝的天空和大海交相呼应,甚是漂亮。
一年的在日留学生活即将接近尾声,这是既漫长又短暂的一年。一年见不到家人和朋友让我觉得时间漫长。每天过着打工学习充实而繁忙的生活又让我觉得日月如梭。回想起来确实感触颇多,酸甜苦辣味味皆有。我从以下几个方面记录了我在日本的点点滴滴和各种感受。

学习

第一次踏进滋贺大学的正门,应入眼帘的是一张破旧不堪,“滋賀大学”几个字都脱落得斑驳的矮小校门,走进校园,几栋低矮的教学楼散落在校园里,充斥在耳边的到处是不吉利的乌鸦叫声。当时的心情简直跌到了谷底。一心梦昧以求的留学地居然是如此破烂。
改变对滋贺大学的看法是后来通过上课,与老师的交流中逐渐改变的。研究生上课的形式都以几人小组为一课堂,每周轮流对自己的小论文在课堂上发表,其他的同学和老师给予意见和提问。刚开始的时候,自己的小论文写得一蹋糊涂,根本没有自己的观点,几乎都是引用别人的观点,每当被老师问到“自己的观点在哪”的时候,都无从回答。老师的教导是,无论你的观点对与否,哪怕只有一点点,这就是研究的开始。自己的思考和想法很重要。就这样在老师的严格培训下,渐渐学会了研究的方法和论文的写法。滋贺大学老师治学的严谨和知识的渊博改变了我对这个学校的看法。学会了作为研究者应具有的严谨和认真的态度。这也将对我之后的人生受用终身。

工作

真正开始接触日本这个社会是从打工开始的,从同事身上我看到了日本人对工作的责任心和热心。我从他们那儿学到了不少,这一年的打工经验让我成长了不少。
还记得在居酒屋打工的时候,新人实习期,待客用语,上菜,点单,礼仪都一一被教了。但是,实际具体怎样待客,对客人来说什么才是最好的服务,记住菜单的所有菜名和各类酒的调制方法,对于我一个外国人来说要花一段时间。因此,每次在外就餐时,我会养成留意服务员的待客用语和服务方式的习惯。留意了各式各样的服务员之后,感受就是有没有灿烂的笑容和洪亮的声音,会给客人留下完全不同的印象。我把从同事和上司那学到的,还有留意到的好的服务运用到自己的工作上,用一颗真诚的心待客。每当听到客人“加油,好好干”、“你的笑容给人感觉很不错”之类的鼓励话就会干劲十足,倍加努力地工作。每当将美味的料理端到客人面前,而客人用亲切的关西方言跟我说谢谢时,我也会觉得无比的开心。
回到祖国之后,我将仍不会忘记为他人服务的这份热忱,并将这份热忱传递给祖国同胞。

生活

刚来日本的最大感受就是物价贵得惊人,几乎是中国的6,7倍左右。开始的时候,买任何东西都习惯换算成人民币,之后便是一阵心痛。什么都舍不得买了。吃的尤其贵。一碗普通的面条,在国内几块钱,在日本便是几十块钱。
  日本交通的便利和公共设施的发达,让你亲感先进国家的发达。日本人对环境卫生的保护和爱护,很让我佩服。走在街道上看不到一片垃圾,厕所不仅仅只能用干净来形容,可以用漂亮来形容。河湖海里的水,清澈明亮,晴朗的天空是蔚蓝的。走在街道上也听不到鸣笛声,也看不到车辆排出浓黑的尾气。
日本人也很守规矩,决不乱闯红灯,在公共场合不大声喧哗,不打电话。一切有可能干扰到他人的行为都不做。更加不在路上或车上吃东西。这些都值得我们一学。

 

 

总结

来到日本这个所谓的外国后,我变得更加爱自己的祖国了,那份对祖国的关切变得愈发强烈。会因祖国的渊博文化而自豪,会因祖国的逐步强大而自豪。每每看到电视播报有关祖国的新闻时,我都会激动无比。来到国外,能客观地看到自己的祖国现在在世界上处于怎样的地位,和其他先进国家还存在什么样的差距。也更能清楚地认识自己国家的形势。
今后我会为了中日友好而继续努力的。